名も無き孤高の三味線弾き ❝松川和 龍乃祐❞ プロフィールや数々のエピソードを掲載

 ❝ 松川和 龍乃祐 ❞

『プロフィール&エピソード』

❝人間国宝 ❞に“ 鬼才 ”と言わしめた伝説の三味線弾き!

正統派!津軽三味線弾き・多種三味線弾き・三味線演奏研究家

【 松川和 龍乃祐 】≪芸歴48年≫( since 1973 )

[まつかわりゅうのすけ](2016~)

『略式プロフィール』

1965年(昭和40年)7月5日

東京都台東区上野生まれ

物心ついた頃より三味線をおもちゃ代わりに遊んでいたが1973年(8歳)から民謡藤山流家元で父の藤山秀修師の影響で本格的に三味線を始める。1981年(15歳)で当時津軽三味線界の大スターであった高橋祐次郎師の直弟子になる。入門からわずか半年でプロデビュー、日本武道館に於いて行われた日本テレビ系生放送「日本民謡大賞」に出演をきっかけにその後数々のテレビ、ラジオ、各地の名だたる大舞台、有名ホテルに次々に出演し始める。1986年に独立しソロ活動を始める。1989年(24歳)で単身渡米、ロサンゼルスを拠点とし全米各地で演奏、指導活動を行う。帰国後、あらゆる三味線を研鑽し日本では極めて稀な多種三味線奏者(三味線マルチプレーヤー)として活動を行っている。(自称:名もなき一介の三味線弾き)1995年津軽三味線発祥の地で行われた「第7回 津軽三味線全日本金木大会」のA級戦に出場し初出場にして初入賞を果たす。また全く別の顔としては1995年に俳優として舞台デビューしている。現在、多様な三味線演奏技術により津軽三味線を主体として各ジャンルの三味線奏者として、また三味線指導者「教授」の資格を持ち豊富な三味線知識で国内外で指導にあたっている。俳優・声優活動も行っている。今後の活動としては世界各国に「三味線の先生を育てる」活動、三味線を「世界中の学校の音楽室に!」「三味線界の悪しき慣習をぶっ壊し多くの人が気軽に三味線を始められるように!」を掲げグローバルな活動を行っている。自他共に認める「秩序ある破壊主義者」。また社会福祉活動として「高齢者福祉施設」へボランティア演奏も各地で続けている。

▼旧芸名:松川龍之介(1994~)・松川龍ノ助(1996~)・一年限定 寿5e紋(2020)

『プロフィール 本編』

『 最新更新日:2021.4.6』(更新・修正・追加)

1965年(昭和40年)7月5日

東京都台東区上野生まれ 

身長:177cm

血液型:A型

星座:蟹座

最終学歴:高等学校卒業

居住地:神奈川県横浜市

趣味:楽器いじり(アコースティックギター・エレキギター・エレキベース・ウクレレ・シンセサイザー・パーカッション類・DTM/DAW など所有)

PCいじり(5台所有&ipad) 機械・無線機器いじり(第3級アマチュア無線従事者免許所持)

バイク(大型自動二輪免許所持)トラック野郎(大型一種・牽引一種免許所持)

船舶(第1級小型船舶操縦士免許所持)

特技:ものまね・お喋り 「男はつらいよ」談義 津軽弁(わんつかばり)、ほんの僅かな英会話?一応、英語検定所持(アメリカ滞在歴2年有)

好きなアーティスト&バンド:吉 幾三・長渕 剛・サザンオールスターズ・横浜銀蝿

好きな音楽のジャンル:色々なジャズ・1950年代アメリカロックンロール

尊敬する人物:吉田松陰 氏・坂本龍馬 氏・相田みつを 氏・Mr スティーブ・ジョブズ

尊敬する三味線奏者:芳村伊十七 氏(長唄)鶴澤清治 氏(義太夫)初代 藤本琇丈 氏 (端唄・民謡)高橋祐次郎 師(民謡・津軽三味線)木乃下真市 氏(津軽三味線)渋谷和生 氏(津軽三味線)御教授頂いた全ての師匠方。

好きな名言・格言:世の中の人は我を何とも言わば言え、我が成す事は我のみぞ知る!(坂本龍馬)無知の知こそ、賢者への道(ソクラテス)朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり(里仁)

好きな四字熟語:万里一空・奮闘努力・一心不乱・四面楚歌・温故知新

松川和龍乃祐、24歳頃自ら考えた座右の銘:

《己を知り、己に克ち、己を高めろ!》

好きな食べ物:ラーメンなど麺類

好きな飲み物:カフェオレ・コーヒー

嫌いな食べ物:魚類(特に“寿司”などの生魚)

嫌いな飲み物:トマトジュース、ビール(瓶・缶)

《所 属・資 格 》

公益財団法人日本民謡協会:指導者資格認定公認 教授

日本民謡 藤山流 総師範: 藤山弘修(ふじやま ひろのぶ)

端唄 若宮流 特別師範 :若宮 龍乃祐(わかみや りゅうのすけ)

小唄 若宮派 名取:若宮 三千龍 (わかみや みちりゅう)

《演奏三味線種目》

津軽三味線

民謡三味線

端唄三味線

小唄三味線

沖縄三線

長唄三味線

常磐津三味線

新内三味線

義太夫三味線

▼習得した芸・師事した師

民謡三味線:日本民謡藤山流家元 藤山秀修師

(公財)日本民謡協会理事・同会教授)

日本民謡(唄):日本民謡藤山流家元 藤山秀修師

(元(公財)日本民謡協会理事・同会教授)

津軽三味線・秋田三味線・尺八・横笛・太鼓・胡弓:話芸

津軽三味線高橋流家元 高橋祐次郎師

(元 NPO法人 津軽三味線全国協議会 副理事長)

津軽民謡(唄):津軽民謡三浦派家元 三浦節子師

(元日本コロンビアレコード)

端唄(唄・三味線): 端唄若宮流 若宮三千世師

小唄 (唄・三味線) : 小唄若宮派 家元 若宮三千代師

端唄 (唄・三味線) :神楽坂まき子師

(端唄界第一人者)

常磐津(三味線):常磐津一寿郎師

(歌舞伎 常磐津方)

長唄(三味線):芳村伊之助師

(歌舞伎 長唄方)

新内(三味線):新内仲三郎師

(人間国宝)

沖縄三線:親盛 隆師

義太夫(三味線):独学

▼主な出演・活動

81年 日本民謡大賞/日本武道館

81年 民祐会15周年記念公演/NHKホール

83年 ザ.トップテン/渋谷公会堂

83年 夜のヒットスタジオ/フジテレビ

84年 両国国技館 こけら落とし/両国国技館

86年 オールスター新春かくし芸大会/フジテレビ

86年 五木ひろし新春特別公演/新橋演舞場

86年 俚謡四人会/国立劇場(大)

89年 日本総領事官就任祝賀会/米.ロサンゼルス

90年 日本人会館に於いてコンサート/米.ロサンゼルス

94年 青山学院大学学園祭にてライブ開催/東京

94年 お江戸日本橋劇場/日本橋

94年 九段会館/千代田区

94年 単独ライブ/代官山

95年 第7回 津軽三味線 全日本金木大会

初出場同大会に於いて一般A級戦「金木町教育長賞」受賞

95年 商業演劇、舞台「華やぎの糸」公演ツアーで俳優デビュー

浅利香津代、吉沢京子と共演(岩手・茨城・大阪近鉄劇場 他)

96年「日本人としての大切な心を取り戻そう」と言う 趣旨のもと、

津軽三味線ユニット「じゃぱねすく」を結成

96年 じゃぱねすくディナーショー/京都国際ホテル

96年 じゃぱねすくファーストレコーディング/東京

96年 公益財団法人日本民謡協会 指導者資格試験「公認教授」に合格

96年「じゃぱねすく」ファーストCD「JONGARA NEO」を発表

97年 品川区成人式にてコンサート/東京

TV時代劇「鬼平犯科帳」に出演

小唄・端唄 若宮流 “ 若宮 三千龍 ”を襲名

津軽三味線&民謡歌手のユニット「ジャパネスク」を結成

札幌雪祭り/札幌

ユニット「ジャパネスクwithらん」結成

99年 「景気回復音頭」&「じゃん」のCDを発表。

99年 横浜開港記念みなと祭り/横浜

【全国制覇】(全都道府県での路上演奏)の偉業を達成する

横浜クイーンズスクエアにてライブ/横浜

99年 日本初「津軽三味線インターネットビデオ通信講座」を開設

受講者を「ジャパネスク倶楽部」会員として、全国に支部を置き

三味線を無償で指導する。

ニューヨーク、セントラルパークにて路上ライブを行う

2000.5 「2000年津軽三味線全国大会」にてジャパネスク倶楽部会員が

優勝・入賞(C級戦優勝:板庇輝明・C級戦入賞:太田康裕)

ジャパネスク マキシシングル「津軽舞音節」発表

(#白藤ひかり #Pちゃん として出演)

邦楽専門誌 邦楽ジャーナルにコラムを連載開始【龍ノ助のメール一番出し】

2002.5 「2002年津軽三味線全国大会」にてジャパネスク倶楽部会員が

優勝・入賞を果たす(B級入賞:板庇輝明・ジュニア級優勝:白藤ひかり)(その後白藤ひかりは(内弟子になり松川龍ノ助のもとで修行する)

2005 以前から患っていた病の闘病生活に入り活動を休止。(体調の良い時は身体に差し障りのないような演奏や指導は行っていた)

2012 闘病生活を一時中断し本格的な活動を再開。

復活最初のステージは新たな出発点という意味で、東海道などの起点である東京都中央区の「日本橋の上」での路上ライブ。

2012~2016まで東京近郊都市の高齢者福祉施設などでボランティアで単独ライブを続ける。

2016.4 端唄 若宮流 特別師範 【若宮 龍乃祐】 を襲名(襲名披露式 湯島天満宮)

2016.6 NHK FM 【邦楽のひととき】出演 替手・上調子を演奏(若宮三千世師の伴奏)

2016.8 若宮記念会/日本橋三越劇場(林家たい平師などの伴奏)

2016.9 若宮三千代(三千世)ディナーショー/ヘリテイジ飯能(林家たい平師などの伴奏)

2016.8 駿河台大学三味線倶楽部の学生に「若宮流家元代行」として代稽古をつけ学生達に指導をする

2016.10 端唄協会/東京証券ホール

2016.10 小唄協会/国立劇場(小)

2016.10 駿河台大学ライブ/飯能

2016.11 富士松鶴千代公演/日本橋三越劇場

2019.6 左鎖骨骨折手術(活動休止)(2020.1.1〜活動再開

『エピソード』

※EP1: この頃(1970~80年代)、日本は空前の津軽三味線・民謡ブームが沸き上がっていて(第二次津軽三味線ブーム)津軽三味線を習う人が爆発的に増加した。

※EP2: 異種独特な感性と個性の塊であるが故の言動、行動の破天荒ぶりから周囲の人達や先輩、業界の人達からは「津軽三味線界の奇人!変人!異端児!」と揶揄され始めるが、高橋祐次郎師は「奇才!」と認めていた。

(自他ともに認める当時一世を風靡した “ ツッパリ ” 三味線弾きだった。(ツッパリ精神は今も健在)豪快撥捌きで後ろから「撥が見える」と言われる程、当時の若手奏者にはあまりいないタイプの奏者だった。

※EP3: 十数年後、後に人間国宝になる別の師から「三味線の神様が取り憑いている千年に一人の鬼才」と称され、さらに別の師からは「 “ 気 ” を読み、盗む天才!」と絶賛されるように成長を遂げて行く。

19歳(1984)で「公益財団法人日本民謡協会.指導者資格認定試験」

に合格、同協会「公認教師」となり、翌1985年の日本民謡藤山流に

於いて行われた師範審査試験に合格、20歳で「日本民謡藤山流総師範」になり「藤山弘修」(ふじやま ひろのぶ)を襲名する。

※EP4: 同年末、NHK紅白歌合戦に「細川たかしさん 望郷じょんがら」のバックに合奏で出演しないか?という話があったが「紅白に出たくて三味線やってんじゃねぇ!!!」という理由で断った。(ツッパった!)

※EP5: この頃から浅草周辺の民謡酒場に入り修行を始める。当時、多くの若手奏者が民謡酒場で修行し腕を競い合った、そこで多くの民謡歌手や素人歌手の唄付けを学ぶ。「最後の浅草民謡酒場組」と言われ、「津軽三味線 第五世代」とも言われている。(同期に木乃下真市氏など当時は強者揃いだった)

※第一世代:秋元仁太郎、白川軍八郎、梅田豊月など津軽三味線の始祖、開祖と言われる世代。

※第二世代:木田林松栄、高橋竹山、小山 貢、山田千里、福士政勝など津軽三味線を世に知らしめるきっかけとなった世代。(第一次津軽三味線ブーム、竹山ブーム)

※第三世代:三橋美智也、佐々木 孝、高橋祐次郎、京極利則、澤田勝秋、長谷川裕二など津軽三味線の大ブームを築いた世代。(第二次津軽三味線ブーム、また津軽三味線の合奏が行われるようになったのもこの頃で20~50人、また100人以上など大規模の合奏もざらにあった。現在、1000人以上で行われた大合奏がギネス記録になっている。同一の楽器を大人数で演奏することは世界でも稀)(津軽三味線という言葉は三橋美智也氏がつけたとされる)

※第四世代:五錦竜二、藤田淳一、高橋浩次郎、澤田勝仁、福士豊勝、木本伸十郎、小山貢竜、山上 進などブームが下火になった後の津軽三味線界を支え続けた世代。超絶技巧派の奏者が多かった。

※第五世代:小山満、工藤武、木乃下真市、渋谷和生、松川龍之介など津軽三味線全国大会が初めて開催された時期から若手筆頭と言われた世代。この時期から全国大会に出場する奏者が続々と登場し始める。(第二、第三、第四世代の弟子達が多かった)

※第六世代:上妻宏光、吉田兄弟、踊正太郎、中山信人など現代津軽三味線の礎となる世代。第三次津軽三味線ブームの火付け役。この頃から全国各地で「全国大会系」が開催され始める。

※第七世代:現在活躍中の若手奏者。

※EP6 21歳で門下を離れ指導者、演奏者として独立、ソロ活動を始める。

24歳で武者修行のために渡米、ロサンゼルス在住日系人の民謡団体や個人(アメリカ人、ドイツ人、中国人、韓国人、メキシコ人、ブラジル人など)に津軽三味線を指導する。(アメリカでの呼び名は“Hiro Fujiyama”)

その後、全米各地を飛び回り津軽三味線の演奏や指導にあたっていたが、国外に住んでみて初めて「日本の素晴らしさ、日本人の凄さ」に気が付き、26歳で帰国し改めて日本という国や三味線を勉強し直し、太棹・中棹・細棹、などあらゆる種目の三味線を研鑽する。

(端唄・小唄・長唄・常磐津・義太夫・新内・沖縄三線)

28歳より芸名を“ 松川 龍之介 ”と定め、組織に属さないフリーの三味線奏者

として活動を始める。

※EP7: この頃「端唄界の大御所」(舞台では初代 藤本琇丈師の伴奏以外では絶対に唄わない)と言われる人物と出合い、今まで触れたことのなかった「津軽三味線とは全く別物の三味線本来の音色」を聴き、知り、激震が走り今まで抱き続けてきた「三味線」に対する概念が変わり始める。

※EP8: 29歳の時、津軽三味線の本場、津軽、弘前に在った

「ライブハウス 山唄」(当時)にて山田千里師、渋谷和生氏に出会い演奏を聴いた時、明らかに関東以西で演奏されている津軽三味線との「大きな違い」をまざまざと知ることになり自分の演奏する津軽三味線に疑問や違和感を抱くようになり、これを機に津軽三味線をやる上において「津軽三味線とは何か?」を追求し始め、さらに「三味線とは何か?」三味線と云う楽器の本質を追求するようになり、それを生涯の課題と考え始めるようになり三味線奏者として大きな転機となる。

そして、三味線界に古くから伝わる慣習や伝統などに対しても疑問を抱き異論を唱え、組織に囚われることなく流派、会派などの枠をこえた活動を続けている。

また、早くからグローバルな活動をしておりアメリカ、ドイツ、イギリス、フランス、中国、にも出向き国内外で三味線の振興・普及、指導者を育成する活動をしている。

※EP9: 34歳の時、かねてから思い悩んでいたことを解明するため家族で津軽に移住、弘前市内の居酒屋で2年間民謡歌手とのユニットで毎日4ステージ演奏、西津軽郡柏村(現つがる市)に住み五所川原市内の居酒屋で3年間民謡歌手とのユニットで毎日4ステージ演奏をする日々を送る。当初、地元の人達からは「おめのしゃみせんこだばつがるのかまりこしねはんでまいねでゃ!」(お前の三味線は津軽の匂いがしないからダメだ!)と言われ続けなかなか受け入れてもらえなかったが「津軽を知りたい!」という一心で津軽弁で会話をしたりするなど津軽を知る為の努力を続けているうちに周りから徐々に「おめさわのけやぐだはんで!」(お前は俺の友達だからな!)と言ってもらえるようになった。本場津軽での生活で津軽と云う土地柄や人柄を実体験し「津軽三味線とは・・・?!」を見極める。

(言語方言・気候・風土・風習・気質・気性・・・えふり!じょっぱり!ほんずねし!などを知る)

また、根っからの三味線好きなため様々な種目の三味線を研究、

その探究心は55歳の今現在も劣らず、知識、見識を高め、三味線界に蔓延る

古くからの悪しき慣習に対する反発、反骨そして胆識は他に類をみない。

三味線奏者としては日本で極めて少ない三味線マルチプレーヤー。

(多種三味線奏者)

※EP10 :類い希なお喋り好きでトークが大変上手く、ユニークな話しで観客をわかせる話術の持ち主であり三味線とトークだけで2時間以上1人で舞台を務められるほどの芸は三味線業界では唯一無二の存在。(話し方など特に学んだことはない“天性”のもの)

今現在に至るまで幾度もの試練に耐え、東奔西走、試行錯誤を繰り返し技術、知識を磨き、確固たる独自の芸と世界観を確立させた。

※EP11: ヘッドマイクを装着して演奏するスタイルは25年以上前から。(単独ライブ時のみ)

※EP12:: マスコミ嫌いなため、メディア等への出演は滅多にしない。

※EP13: かつて邦楽専門誌「邦楽ジャーナル」にコラムを掲載するなどしていて今でも執筆活動を行っている。現在は

「凄まじくいい加減な津軽三味線界の実態!」(仮)

「悪しき慣習三味線界の家元ビジネスの現実!」(仮)

「本当の津軽三味線など存在しない!」(仮)

「全国に蔓延る素人を食い物にする 〝インチキ〟ローカル 津軽三味線先生方と三味線屋に物申す!」(仮)

「伝統という名の嘘」(仮)

「津軽三味線の音楽理論」(仮)

津軽三味線全国大会系で入賞させる為の絶対的指導力と秘訣!」(仮)

「論文 多様化する三味線音楽」

などを執筆中。

※EP14: 2001年テレビのトーク番組に出演した際、休憩中喫煙室で居合わせた共演中の武田鉄矢氏に対し津軽三味線について熱く語った。そのことがきっかけか定かではないがその後武田氏鉄矢氏は津軽三味線を習うようになった。

※EP15: 早くからパソコンに取り組み(1987〜)インターネットが普及する以前からPC通信やHP製作、DTMなどを行なっており、「デジタル津軽三味線奏者、指導者」の先駆者。

1999年当時に自身が製作したHPは津軽三味線界(三味線界)最大級のものであった。

※EP16: 1995年「 第7回 津軽三味線 全日本金木大会 」出場時に現在の吉田兄弟と出会いその後も交流がある。

※EP17: 1994年頃、上妻宏光氏の師匠、佐々木光儀氏と出会いその後も交流がある。

※EP18: 99年 に開設した日本初「津軽三味線インターネットビデオ通信講座」の受講者であった白藤ひかり氏の才能を見出し、三味線を無償で指導し、「2002年津軽三味線全国大会(弘前)」ジュニア級の優勝に導く。

❝ 三味線を極める!

即ち己を知る.... ❞

※稽古=いにしえをかんがえる※

※ 温 故 知 新 ※

【先人達の格言・名言】

〈調弦三年、ツボ八年・・・・小手先三割、撥七割〉

≪ 最後まで御覧頂きありがとうございました ≫

最後に「正統派!」って何かって?

それはNa!

津軽三味線の演奏は基本的には唄の伴奏者であってその前奏(前弾き)をその時その時に「即興演奏」でやることでありそれこそが津軽三味線の弾き手にとっても唄い手にとっても聴き手にとっても最高の醍醐味だと俺は思うZe!

(特に近年、即興演奏出来るやつがいなくなってる!)

俺は一部の楽曲を除くが、いついかなる時であってもこの「即興演奏」を大事にして弾いているんだ!だからこそ、一曲々が真剣勝負であり、緊張感が高まり集中力が最高潮に達した時、自らの命を削り、魂の叫び!みたいな音が出でくるんじゃねえのかNa!この音こそが俺にしか出せない、聴き手に「津軽を感じさせることが出来る音」じゃあねえのかNaって思うYo!その時だね、きっと「三味線の神様」が降りてくるのは。いつも「即興」だからこそミスも多いYo!生身の人間だからNa!(笑)

だだね、特に稽古しているとき時に多いんだけど、時にまるで「自分が三味線を弾いてる」っていうよりも「俺の中で誰かが勝手に弾いている」っていう感じがする時があるんだYo!

それこそが「松川和 龍乃祐」の三味線なんじゃねえかなぁと思うZe!

あとは何て言っても「唄の伴奏」(唄付け)!!これが出来なきゃ話にならないZe!!Oreたちの世代では「必須」だったYo どんな歌い手にも対応出来る万能性がなければ三味線弾きとは言えないんじゃNeekana|||

普段は稽古しているときが一番楽しいYo!ん?何でかって?それはNa

「素の自分」が三味線を弾いていられるからね!何時間でも弾いていられるYo!ww

稽古も舞台も一緒!常に真剣勝負!常に「素の自分」が音を出す!魂から絞り出す!それが俺のおと・・・(๑・̑◡・̑๑)

そうそう、最近の言葉で言えば

弾き手が ❝ 全集中 ❞ して弾かなきゃ聴き手だって ❝ 全集中 ❞ して聴いてくれねぇZe~~!肝心なのは💛だZe 三味線に対する愛情と情熱と探求心なら誰にも負けねぇZo~!(^^)! ja~na~ by Ryunosuke (^_-)-☆

☆因みに津軽三味線で演奏する一部の「メジャーな楽曲」リストを掲載しておくZe☆

☆それと一番下の方にOreが普段三味線を研究する為に参考にしている文献や資料も掲載しておくから一度読んでみたらいいと思うYo!「三味線」のみならず日本の「伝統や文化」「民族芸能」とか「西洋音楽理論」なんかも勉強すると三味線のことが良くわかってくるZe!あと、「哲学」「心理学」「脳科学」「釈迦の名言」「音響学」「ステージ・PA・音響・舞台用語」「レコーディング・ミキシング・マスタリングの知識」なんかも勉強しておくと色々為になることが多いYo (^_^)/~

《参考楽曲リスト》

青森県民謡(津軽もの)や一部の秋田県民謡(秋田もの)や岩手県民謡(南部もの)や北海道民謡(北もの)などと呼ばれている。

津軽じょんから節 旧節(三種)中節 、新節 、新旧節

津軽よされ節(旧節、新節)

津軽小原節(旧節、新節)

(上記3曲を「津軽三つもの」と呼ぶ

津軽あいや節(全音、半音、古調)

津軽三下り

(上記2曲を合わせて「津軽五大民謡」と呼ぶ)

津軽塩釜甚句(小原)

津軽願人節

津軽タント節

俵積み唄(南部俵積み ともいう)

津軽音頭

津軽ばやし

ナオハイ節

田名部お島こ節

リンゴ節

津軽甚句(ドダレバチ)

嘉瀬の奴踊り

黒石よされ節

黒石じょんから節

鯵ヶ沢甚句

ワイハ節

十三の砂山

弥三郎節

八戸小唄

五所川原甚句

津軽よされ大漁節

津軽数え唄

外ヶ浜音頭

虎じょさま

南部よしゃれ

南部酒屋元摺り唄

秋田荷方節

秋田船方節

本荘追分

秋田おばこ

能代船方節

能代荷方節

秋田甚句

秋田音頭

秋田大黒舞

ドンパン節

タント節

道南口説

道南盆歌

道南ナット

この他にも津軽三味線で弾く曲はマイナーな曲も含めて多数あるYo!(^^♪

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【参考にしている文献・資料】

☆初期三味線の研究

☆三味線の知識 邦楽発声法

☆三味線音楽の音高理論

☆三味線とその音楽

☆東洋音楽研究 三味線の研究

☆まるごと三味線の本

☆日本音楽の歴史と鑑賞

☆絃魂津軽三味線

☆津軽いのちの唄

☆日本の伝統楽器

☆「日本の伝統」の正体

☆「日本の伝統」という幻想

☆楽典

☆ザ・楽典

☆よくわかる音楽理論の教科書

☆最新音楽用語事典

☆音楽記号・用語事典

☆アドラー100の言葉

☆知となる世界の名言

☆人の心を動かす【名言】

☆釈迦の名言集

☆三翠園 三味線教本

☆その他、ネット上で集めた三味線関連資料

☆音響・映像・レコーディング関連本

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名も無き孤高の三味線弾き 松川和 龍乃祐 公式サイト

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